
神の時を見分けながら歩む~聖書暦に注意を払う理由
2026年07月15日 12:58
ワンダリ美奈子
私たちは15年以上前から、聖書暦に注意を払ってきました。
一番最初のきっかけは、今から18年程前、誰も聖書のカレンダーとかそのような事柄に注意を払ってなかった頃に起こった一つの出来事でした。当時、私たちが仕えていた教会において、少数の人々だけが長期間に渡ってとりなしてきた問題がありました。水面下で多くの戦いがありましたが、ある日、それが一気に解決していったということがありました。過越祭の日でした。
その時から、私は、聖書に記された例祭に注意を払うようになりました。
過越祭というタイミングには何か意味がある、何か神がその時にご自分の民や教会を解放するために特別なことをされる時なのだということに注意を払い始めたのです。そして、過越祭が来る度に、自分のため、家族のため、教会のため、神様が何を成されるのだろうと期待して祈るようになりました。それが始まりです。
やがて、ロン・サーカ・ミニストリーズのロナルド・サーカ師や、グローリー・オブ・ザイオンのロバート・ハイドラー師の教えを通して、神の時と季節について、深く学ぶようになっていきました。
私たちは、毎月、初穂の祝いをし、その月々に注がれる祝福のポイントを宣言し始めました。
その時に、驚くべき色々な結果が起こってきました。下記にそのいくつかを挙げています。
1)まず、気持ちのアップダウンが少なくなりました。いつも前を向いて、ひたすら前進するということに生き方の焦点が向くようになりました。いつも何か期待すること、楽しみにして待ち望むものを抱いて、人生を歩むことができるのです。これは大きな恵みでした。
2) 人生の豊かさを実感するようになりました。一週間、一か月、一年間の神にサイクルに注意を払い、それを共に歩もうとする時に、私達の人生に注がれる神の良さや豊かさを現実のものとして実感するようになりました。
3) 最近では、月が変わる時に、一日違っただけで、「あ、違うな」とガラっと空気が変わるのを実感できるようになってきています。
4)更に、様々な人生の局面において、「ドンピシャリのタイミングだった」と思わせる出来事が増えていきました。
まるで神様のエレベーターに乗って運ばれているように、ピッタリのタイミングで扉が開いたり、危機を回避できたり、適切に物事を選択することができたり。確かに、普通にクリスチャンとして生活していれば、そのような事が沢山ありますが、聖書暦に記された神のサイクルに注意を払うようになって以来、確実にそのような出来事が増加していったのです。
私達はこれを宗教的、律法的なこととして、守っているのではありません。
ユダヤ人の真似でもありません。
旧約時代の信仰に戻ろうとしているのではありません。
聖書のカレンダーに注意を払うのは、神様がこれからなさろうとしておられることを預言的に知りたいからです。
聖霊は常に動いておられ、常に新しい領域へと私達を導き入れようとしておられます。
ですから、聖霊と一緒に動いて、その新しい所へ入っていきたいのです。
私は陸上の選手ではないから、あまりよく分かりませんが、中学校の時、先生にこう言われました。「マラソンで勝ちたいなら、一番先頭のグループにしっかりついていきなさい。」
私はそういう風に聖霊にぴったりついていきたいのです。そして、聖霊が導いておられる新しい領域へ、いつも勇気と期待をもって、飛び込んでいきたいのです。そのことを思うと、いつもワクワクドキドキするのです。ですから、この歩みを一緒に走りたい人は、共に走り、共に歩みましょう!
そして、もう一つ大切なポイントがあります。私たちは、これは、終わりの時に対する神様からのトレーニングだと思っています。なぜなら、終末の出来事に関して、聖書暦というのは、かなり大きなヒントを与えてくれるものではないかと考えているからです。
このことも、聖霊と共に動くということと関係しています。聖書のカレンダーに沿って歩むことを通して、私たちは、この世のカレンダーとか、自分の都合に合わせてではなく、神の時と季節を読み取り、神のタイミングに沿って歩む練習をさせていただいているのだと思っています。そのことは終末の時に私達にとっての大きな助けとなると信じています。